酒とアート、飲むと観るでノミルです

オムライス戦争

3

はじめて「ふわふわオムライス」
なるものを観たのは大学生になりたてで
世間知らずのティーン・エイジャーだったころだ。
日替わりの(安くて揚げ物だらけの)
サービス定食にでもしようかと思い、
注文の列にならんだときに、
数少ないメニューのなかで
ふと目についたのが
「ふわふわオムライス」だった。

いったい何が”ふわふわ”なのか?
僕には訳がわからなかった。

当然にように
それまで僕が知っていたのは
チキンライスに薄焼き卵が
包まっていて
ケチャップがかかり、
ときにそのケチャップで
文字や絵が描かれていて
お店の場合だとパセリが
申し訳程度に飾られてある…
というものだった。

僕の知っているオムライスには
”ふわふわ”の要素など何一つなかった。

そもそもオムライスの種類があるなんて
知りもしなかったし
考えもしなかった。
まるでこの世界には僕たちがだけが住んでいて
まさか海の向こうに大きな大陸があるなんて
想像もつかないような、
外界から閉ざされた孤島に住む少年にように
僕のオムライスの世界は小さかったのである。
そして何よりも僕は
この小さな世界に唯一存在する
薄焼き玉子のオムライスが好きだった。
それが突然の黒船来航である。
しかも場所が大学の学食だ。
ショックだった。
自分が好きなオムライスの
イッツ・ア・スモールワールド
踏みにじられたような気がした。
しかも、改めていうが大学の学食で、だ。
せめて踏みにじられるなら
おしゃれでモダンで本格的な洋食屋さんが良かった。
こんな京都の山のほとりにある
小汚い小さな大学(しつれい)の
小汚なくて薄暗いうえにメニューも少ない
学食”なんかに”(しつれい)踏みにじられたことで
僕の自尊心というかプライドというか偏見というものが
予想以上に大きく傷ついてしまったのである。

それと同時に僕はハイスクール出たての
チューインガムをくっちゃくっちゃさせて
太陽きらめく西海岸を
赤いオープンなスポーツカーで
レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
カーステレオで鳴らしながら疾走し
ホットパンツを履いて
乳首がすけるようなだぶだぶのTシャツを着た
ブロンド美女たちをナンパするような青年だった。
というのはもちろん嘘で
実際には観光帰りのおばさんがひしめく
小豆色の阪急京都線の補助席で
縮こまりながら文庫本を読んでいた
生意気盛りのティーン・エイジャーだったことが
僕が抱いていた薄焼き卵のオムライス世界に受けた
その傷をふわふわオムライスに対する
一方的で身勝手な恨みへと変貌させていったのである。
いわゆる青年犯罪者予備軍のようだった
その相手が人ではなくオムライスで
本当に良かったと今は思う。

まず、そもそも、なんだ。
そうだ、あれだ。
オムライスなのに、
玉子に包まっていないとはどういうことなのか?
オムライスを作ろうと挑戦している人たちは
皆、あの薄焼き卵を包もうとして
失敗し苦労し涙しているというのに、
ふわふわ、お前というやつはなんだ?
半熟にしたオムレツをかぶせて切っただけではないか?
そりゃあ、中身がふわふわのオムレツはおいしい。
それは認めよう。
それがチキンライスにのってる訳だ。
そりゃあ、おいしい。
おいしいに決まっている。
いや、でも、ほら、オムライスっつーのはさ、
半熟とか、そーじゃなくってさ、
薄焼き玉子に包むことに意義が、
意義が…あるのかもしれないじゃん?
みんな(さっきも言ったけど)
そこで苦労してる訳だからさ。
そして薄焼き卵を
スプーンでやぶる瞬間の、あれね。
あの瞬間こそが、
あ、俺、いま、オムライス食べてるなぁ。
…ってそう思わさせてくれるんだよね。
それを…ははっ!かぶせるだって?ははっ!
怠慢だね。オムライスにおける怠慢だね!
それと、ほら、デミグラスソース?
かけるじゃん?
あれはさぁ、ちょっとね。
オムライスのコンテキストを無視してるっていうか。
やっぱオムライスはケチャップ。
あのケチャップの酸味と
たまごの甘み、
それをチキンライスとが層になってさ。
それが味わうのがオムライスだって。
俺はそう思うのね?
文字だって、絵だってかけるしさ。
そこがオムライスのポップなところというか
キュートなところというか、
味だけじゃないぞ!というところが、さ。
薄焼き卵のオムライスの
懐の広さっていうかさ…。

まぁ、だいたいこの辺が
10代の僕の無知かつ短絡的思考である。
(無知かつ短絡的思考であるのは
 今も変わっていないが)

やがて20代も半ば過ぎたころ
僕は一本の映画を観ることになる。
伊丹十三監督のグルメ映画『タンポポ』である。
そのころの僕は伊丹十三がマイブームであり、
伊丹十三が監督した映画を
片っ端から観ていたのだ。

『タンポポ』はグルメ映画のはしりであり、
本筋のストーリーとは別に
様々なスケッチ(小さなコントのようなもの)が
散りばめられていて、
そのひとつにオムライスを作るシーンがあった。
そして、そのオムライスの作り方は、
なんと「ふわふわオムライス」のそれだったのである。
僕がふわふわオムライスに遭遇したのが
2000年代半ば。
『タンポポ』の劇場公開は1985年。
18年ほど前である。
思わず目を疑ったが、
どうみてもそれはふわふわオムライス。
すぐにGoogleでサーチしたら
なんと、いままで憎きと思っていた
ふわふわオムライスの生みの親こそが、
その時ドハマリしている伊丹十三だったのである。
(たぶん、諸説あると思いますが)

そうか。
そりゃあ、お洒落だわ。
伊丹十三が考えたのならお洒落だわ。
学食のふわふわオムライスでさえ、
他のメニューと比べて一線を画して
お洒落だったもの。
しかも美味しいときたもんね。
だけど、薄焼き玉子のオムライスへの
恋(いと)しさと切なさと心強さも捨てがたい。

そうだ…和平を結ぼう。
停戦だ!
僕の頭のなかでは
スターウォーズ エピソード1の
ラストシーンにように
宇宙人が光の玉を掲げて
「平和を!」
と叫んでいるシーンが再生されていた。
いま、薄焼きとふわふわが硬い握手をかわし、
熱い抱擁を交わしている。
国を分断していた壁がこわされ、
引き裂かれた恋人たちが再開し
涙を流しながら愛おしそうに
お互いの顔を確認しあっている。
バックにはMr.Childrenの『タガタメ』がなっている。
良かった。これで良かったのだ。
ジャー・ジャー・ビンクスも
気持ち悪く喜んでいる。

こうして西出歴26年のこと
開戦から6年たったいま、
こうしてふわふわと薄焼きは
どちらもオムライスだということになり、
戦争は終わったのである。

いまでは、ふわふわも薄焼きも
その時の気分によって
楽しく、味わっているそうだ。

(オムライス英雄伝説 完)

2015-09-30 | Posted in danpen

ライター紹介

西出 元

Nomiru ディレクター、撮影、イラスト、会議中に腹が減ったと晩御飯へと促すことを主に担当。企画が進まない原因の一人。
ディズニーランドとUSJに行ったことがなく、それに対する憧れが高まっていき、ハードルが上がりすぎて逆に行けなくなっているが最近の悩み。
好きなお酒は辛口の冷酒。好きな肴は白子ポン酢。


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