酒とアート、飲むと観るでノミルです

ニンテンドー ライフ

本当は「この世界の片隅に」について書こうかと思っていたのですが、せっかくニンテンドースイッチの発売前夜ですし、実は前回の投稿から今回の投稿までのあいだに奇跡的に(?)ヨドバシカメラで予約をすることができたのでファミコンからWii Uまで、自分の人生と平行して、遊んできた任天堂ハード達を駆け足で振り返ってみたいと思います。

■ファミリーコンピュータ
Nintendo-Famicom-Console-Set-FL
ファミコンが発売されたのは1983年。僕が生まれたのは1985年なので、発売された当時の状況は知らない。しかし1985年という年は関西にとって奇跡の年だった。ひとつは『阪神タイガース』の優勝であり、大阪が狂気と言っていいほど盛り上がった。そして、もうひとつが『スーパーマリオブラザーズ』の発売であり、京都にある任天堂がテレビゲーム業界の王者として君臨することが決定した瞬間だ。

僕がはじめてファミコンに触れたのは幼稚園のときで、友人の家だった。友人には小学生のお兄さんがいて、その人がファミコンを買ってもらっていた。僕たち(弟である友人と、僕)はそれを交代で遊ばせてもらっていたのだ。(コントローラの取り合いによる兄弟喧嘩は見慣れた光景だった。結局兄弟は怒られて、僕だけが自由遊ばせてもらうことになったことがある。気不味く全く楽しめなかった)

遊んだソフトで記憶に残っているのは『ロックマン3 Dr.ワイリーの最期!?』だ。スネークマンのステージで、蛇を模したステージギミックが印象的だったので覚えているのだろう。(同い年の)『スーパーマリオブラザーズ』は親戚の家で遊んだ記憶があるが、正直あまり印象がない。

 

■スーパーファミコン
Nintendo-Super-Famicom-Set-FL
僕が小学校になった同時期にスーパーファミコンは発売された。

スーパーファミコンが自宅にやってきたのは発売されてから4年後くらいだったので、それまではファミコンと同様に友人の家で遊ぼせてもらっていた。『スーパーマリオワールド』のカラフルな世界はすぐに気に入った。友人たちは競い合って隠しステージの出現方法を試していた。インターネットで攻略サイトをみるなんて、はるか未来の話である。頼りになるのはわずかなお小遣いを駆使するか、ご褒美に買ってもらった攻略本か、または出所不明の噂である。まさか、ゴールの下を飛んでいって、ヨッシーを犠牲にしないと到達できない隠しゴールがあるなんて!スタッフはなにを考えていたのだろう。
『MOTHER2』に出会ったのもスーパーファミコンだ。ただ、小学生の僕には糸井重里さんのテキストの面白さを楽しむには若すぎた。しかし、ドラクエでもFFのようなファンタジーでない、ハリウッド映画にような世界感はワクワクさせられた。そして中学生になり、改めて『MOTHER2』を遊ぶ機会があり、糸井節のテキストにどっぷりとハマり、感動したのだった。それはゲームを面白さを超えて、テキストで人に楽しませることができるという感動の原体験となった瞬間だったと思う。

 

■ニンテンドウ64
Nintendo-64-wController-L
自分で貯めたお金ではじめて買ったのがニンテンドウ64だった。通称ロクヨン。

『MOTHER2』に感動し、『MOTHER3』が発売される”予定”だったロクヨン。『スーパーマリオ64』や『スターフォックス64』など数多くの名作を楽しんだが、やはり『MOTHER3』が待ち遠しかった。

そのころの僕はすっかりゲームフリークとなっていて、ゲーム雑誌を買い込み、専門用語を学び、IBMから発売されていたホームページビルダーというソフトを使い、親のパソコンを借りて、ホームページを立ち上げ、ゲーム用語辞典を作ったり、小説を書いたりしていた。テキストサイト全盛期、そのようなサイトは幾らでも存在していたが、覚えたての用語を知ったかぶりして解説していくのが楽しかった。

そして2000年。まさかの『MOTHER3』開発中止。ほぼ日刊イトイ新聞で発表された開発中止の対談を何度も読み直し、対談の最後に掲載されていたゲーム画面を眺め、使われる予定だったBGMをカセットテープに録音して何度も聞き直した。最初はもちろん悲しくかったが、やがて、対談やゲーム画面、そしてわずかなBGMを頼りに幻の『MOTHER3』を夢想していた。

(『MOTHER3』は後にゲームボーイアドバンスで発売された。しかし3D表現のMOTHER3は幻のままだ)
ロクヨンは悲しい出来事だけではなかった。『ゼルダの伝説 時のオカリナ』。ガノン城が崩れるさるシーンでは振動パックと一緒に自分の心も震えていた。『ニンテンドーオールスター 大乱闘スマッシュブラザーズ』では、対戦で盛り上がったのはもちろんのことだが、印象的だったのがディレクターの桜井政博さんが自ら立ち上げたウェブサイト「スマブラ拳」だ。「スマブラ拳」には読者が投稿できる「投稿 スマブラ拳」というコーナーがあり、一部の投稿には桜井さん自らコメントをくれるというプレイヤーとクリエイターとの直接的な交流の場だった。いまではTwitterがあるので、そういう交流は珍しくなくなったが、当時では非常に珍しかったのだ。恥ずかしながら僕も投稿しており、たしか2度ほどコメントをいただき、舞い上がっていた思い出がある。

 

■ニンテンドーゲームキューブ
GameCube+controller
ゲームキューブが発売されたとき高校生だったが、メインで遊んでいたのは大学生のころだった。

大学で出会った友人たちと、狭いワンルームマンションで夜な夜な、スマブラとマリオカートに明け暮れる日々。

酒の味も覚え始めたのも、もちろん大学生からだが、ゲームを遊び友人たちはあまり酒を飲まなかった。なので、ゲームをする友人たちと、酒を飲むゼミの友人たちと二分していった。高校のときに部活動は充分過ぎる経験したので、サークルには入らなかった。今考えたら入っても良かったのかもしれないが、それはまた別の人生だ。

ゲームでいえば、対戦ゲームもそうだが、一人用ゲームも遊んでいた。『ゼルダの伝説 風のタクト』のトゥーングラフィックは衝撃だったし、世界観やシステムも含めて、個人的にベスト3に入るくらいの名作だ。Wii UでHDリメイクされた際も遊んだが、あの穏やかな世界に再び返ったことで思わずホッとした。

そして『Killer7』。須田剛一さんのハードボイルドでダークな世界観。クレイジーなキャラクターたち。フォトリアリスティックとは違うアメコミ調の新しいグラフィック。そして、進めるほどに謎が深まっていくストーリー。マリオだゼルダだと言っていた少年に、アート系シアターに上映されている映画のようなショッキング映像と物語と体験は、多大な影響を与えてしまった。

いまでもふと遊びたくなるゲームのひとつだが、ゲームキューブを手放してしまったので遊ぶ事ができない。もし、ニンテンドースイッチでゲームキューブのバーチャルコンソールが出るのであれば、ぜひ復活してほしい。HDリメイクされたら、すぐに予約する。

 

■Wii
Wii-Console
Wiiが発売された当時、私は大学院を卒業したばかりであり、定職にもつかず、バイトをしながら遊びまくっていた。いや、正確には色々なことをしていたが、経験の少なさや稚拙な技術力が災いして、実を結んだものがほとんどなかったのだった。TSUTAYA DISCASでDVDを借り、それでも飽き足らずお店でもDVDを借り、映画を観まくっていた。そしてWiiでは本当に様々なゲームで遊んだ。『スーパーマリオギャラクシー』では、宇宙空間を自由に飛び回り、重力という新しい概念を取り入れた斬新ゲームシステムが面白かった。(Wii Uで発売された3Dマリオシリーズは、完成度は高かったものの随分と保守的に感じてしまった)

忘れている人もいるかも多くいるかもしれないが『ファイナルファンタジー クリスタルクロニクル クリスタルベアラー』という非常に長いタイトルのゲームもあった。ファイナルファンタジーシリーズ初のアクションRPGでありながら、あまり売れることがなかったみたいだが、個人的にはファイナルファンタジーを遊び回れる自由度の高い操作性が好きだったし、少々荒削りの出来も、きっと続編が発売されたら解消されるのだろうと思い、これから展開に大いに期待していた…、が続編が発売されることはなかった。この経験がきっと『ファイナルファンタジー15』あたりに役立ったのだと信じたい。

『ゼノブレイド』ももちろん楽しんだし、『バイオハザード』シリーズのガンアクションである「アンブレラクロニクルズ」シリーズも楽しめた。(そのためにWiiザッパーも買った)

『ゼルダの伝説 スカイウォードソード』も遊び、楽しんだものの、Wiiリモコンを振る動作に疲れてしまっていたのも事実だ。

しかし、Wiiからバーチャルコンソールというファミコンやスーパーファミコンなどの懐かしのゲームを遊べるようになったのは嬉しかった。次世代ゲームが疲れてしまったときに遊ぶ「ファイナルファンタジー6」「スーパードンキコング」にホッとしたものだ。

 

■Wii U
Wii U Console and Gamepad
Wii Uといえば『スプラトゥーン』や『スーパーマリオメーカー』なのだろうが、じつはどちらも遊んでいない。

遊んだゲームといえば『ゼノブレイドクロス』、『ゼルダの伝説』のHDリメイク2作、『マリオカート8』、『Wii Fit U』などなどくらいで、それ以外に何をしていたかというと、Huluの再生機として使っていた。ちょうど、ストリーミングでの映像サービスが盛り上がってきた時期だったのだ。Wii UにもHuluのアプリケーションがあり、テレビでHuluを楽しむにはもっとも最適なゲーム機だった。なので、残念ながらゲーム機としてWii Uを遊ぶ機会は少なかった。任天堂自身も、Wii Uゲームパッドを使った2画面独自の遊びというものを(上記の2作以外)ほとんど提示できていなかったように思えるし、苦労していた部分があるのではないかと思う。

なのでWii Uではなく、HuluやNetflixの話になってしまうのだが、おかげで海外ドラマをよく観るようになり、レンタルビデオでは見逃していただろう映画をよく観るようになった。これがパソコンだったら、これほど熱心に見ていなかったかもしれない。テレビゲーム機というテレビと親和性の高いハードだったからこそ、HuluやNetflixとの相性も非常に良かったのだろうと思う。ゲーム機としては、あまり活躍できていなかったWii Uだが、時代の流れには乗っていたことになる。

そして僕はといえば、長年やっていたバイトを辞め、色々とあった後にノミルが結成され、現在に至っている。

Wii Uが発売された20代後半は30代への準備期間のような時期であり、色々な人とはじめての出会いがあり、現在では、その人たちに囲まれながら色々なことをやっている。ノミルもそのうちの(大きな)ひとつだ。

 

■ニンテンドースイッチ
NINTENDO SWITCH MAGNET
そして明日、ついにニンテンドースイッチが発売される。

1985年生まれの僕は32歳となり、目の前に広がる中年というエリアに踏み込もうしている。

同じ年に生まれたスーパーなマリオも劇的な成長と変化を遂げた。そんな彼はいまでもテレビゲームを代表するキャラクターで有り続けている。

ニンテンドースイッチが発表されたころ、これはWii Uでやりたかったことを完成させたのだな、と思った。しかし、いまではそれだけでなく、大いなる可能性を秘めているのではないかと思い始めてきた。それはまた別の機会に書きたいと思う。
いまはただ、明日届くニンテンドースイッチをワクワクして待ちたいと思う。

願わくば、子供の頃に夢中になっていたあの時間にふたたび浸れますように。

 

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ライター紹介

西出 元

Nomiru ディレクター、撮影、イラスト、会議中に腹が減ったと晩御飯へと促すことを主に担当。企画が進まない原因の一人。
ディズニーランドとUSJに行ったことがなく、それに対する憧れが高まっていき、ハードルが上がりすぎて逆に行けなくなっているが最近の悩み。
好きなお酒は辛口の冷酒。好きな肴は白子ポン酢。


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