酒とアート、飲むと観るでノミルです

猫が眠る日

飼い猫が亡くなってから2ヶ月ほど経つ。

歳を重ねるほど、時が経つのが早いというが、この2ヶ月は忙しかかったせいもあるのか、何をしていたかという記憶がほとんど無いほど、あっという間の出来事だった。それでも振り返ってみれば、2ヶ月前というのは随分と遥か遠くのようにも感じる。

猫の体調がおかしいと感じたのは昨年の11月の末のことで、ご飯を残すようになってからだ。

いつもならば、カリカリ(ドライフード)を器に入れた瞬間にガツガツと食べ始め、あまりにも勢いよく食べるものだからむせて吐いてしまうことも度々あったほどだ。それが、いつの頃からか3分の2ほどしか食べて残すようになり、半分、3分の1と食べる量が日に日に減っていき、缶詰などのウェットフードを与えると最初は食べていたものの、これもついには口をつけなくなってしまった。

そして11月27日、動物病院につれていくことを決めることになる。

診断では最初は食あたりを疑われていたものの、決定的な証拠もなく、レントゲン写真を撮影しても異常は見つからなかった。しかし、著しい食欲減退、それによる体重の減少は見られているため、点滴を打ち、念のため翌日にエコー検査を受けることになった。

11月28日。腹部と胸部のエコー検査を受ける。

お腹や胸のあたりの毛を刈り取り、ジェル状のローションを塗り、超音波が出る診断装置を身体に当てていく。

元気なときであれば全力で身体をねじり、隙きあらば逃げ出そうと試みるところだが、体力が無いせいか、ときどき抵抗の意志をみせるためのうめき声を出すだけでされるがままになっていた。

普段の診察台とは違い、奥まった場所でカーテンを締め切り、薄暗いなかでエコー検査は進められていく。時間にして10分ほどだが、人によっては気分が悪くなる飼い主もいると獣医師は言った。不安を感じさせる環境もあるが、なによりも刻々とペットの症状が判明していき、それで気分が悪くなるのだろう。僕も気分が悪くなるほどではなかったが、判明する事実を聞くたびに気分が落ちていくのを感じた。

モニターに表示されるエコーの結果を見つめながら、年齢は6才と9ヶ月ほどですね、と確認し、一拍置いてから、腎臓に腫瘍らしき影が見えます、と医師は言った。また、腸にも腫瘍らしき影があり、それが腸を圧迫しているため、お腹が痛くて食欲が無いと考えられます、おそらく転移しているのでしょう、と続けて言った。

腫瘍と聞いた瞬間に、腫瘍とは癌のことでしょうか、と聞こうとしたが、それ以外のどのような可能性があるのかと思い直し、聞くのをためらった。そして、それ以外の可能性を考えてみるものの、やはり、癌以外に可能性がないことを気づく、ということを何度も頭のなかでループした。

エコー検査が終わり、あからさまに抗議の表情を見せる猫をキャリーバッグに戻し、医師はカルテを書き込みながら検査の所見を僕に告げる。影の形や症状からして、ほぼ100%腫瘍だと考えられます。しかし、実際に腫瘍の細胞を切り取り、検査をしなければ確実なことは言えません。検査には数日かかりますし、費用もかかります。また、腫瘍だと判明した場合、どのように治療していくのかを考えていかなければいけません。ですが腫瘍の種類によって治療法も変わってきますし、治療にも幾つか選択肢があり、それによって費用も大きく変わってきます。そのためにも細胞の検査をして、この腫瘍がどのようなタイプなのか判別しなければいけません。

11月29日。お腹に穴を開けて長い針のようなものを刺し、腫瘍の一部を切り取り、専門機関に検査を出す。それと同時に、食欲を回復させるためステロイド治療を始める。

前の晩に、インターネットで猫が腫瘍になった体験談をいくつか読み、ステロイドで食欲が戻ったという記事もあった。また医師も、同じようにまずは食欲が回復し、体重を増やして体力をつけることがなによりも重要だと言った。

食事もカロリーが高い、専用の缶詰に切り替える。

12月3日。検査の結果が帰ってくる。病名はリンパ腫と判明する。血液の癌であり、完治は見込めない。

そのうえで治療には、抗がん剤治療により腫瘍を抑え延命治療を行う。または、現在続けているステロイド治療を行い、対症療法を行う。そして、治療をしないという3つの選択肢があることを説明される。

抗がん剤治療は、非常に高価であり1ヶ月に10万円程度の治療費がかかるという。情けない話だが、そのような治療費を払えるほど収入はなかった。

またステロイド注射による治療では、効果がある見込みは薄いものの安価である。

治療しない選択肢は、このまま食事ができないまま餓死にちかい形になるのは、あまりにも非道であるため論外である。

そのような条件のなかで、僕が唯一取れる選択肢はステロイド注射による治療だけだった。

もちろん、医師としては、副作用の危険があるものの、猫が楽になれて一時的にも元気になれる可能性が高い抗がん剤治療を勧めたことは言うまでもない。僕に安定して高い収入があれば、そのような選択肢もあったかもしれないが。

(今回の出来事においては、非常にお金がかかったことは言っておかなければいけない。僕は抗がん剤セットの治療はあきらめたが、それでも普段の点滴、検査費、ステロイド注射、缶詰など合計で30万円弱の治療費がかかっている。もちろん、症状や猫にもよるので一概には言えない。(ウェブサイトの記事では10万円程度の場合もあると読んだ))

12月4日。前日の夜、猫の息が荒くなり、急遽再度エコー検査を行う。結果、胸に水が溜まり、肺を圧迫していることが判明する。胸に針を刺して水を抜く。水を調べた結果、リンパ腫が原因と分かり、ステロイドの効果があまりないことが分かる。

12月5日。再度エコー検査。前日に水を抜いたものの、また胸に水が溜まっていることがわかる。このままでは呼吸困難に陥る可能性が高いため、副作用が少ない抗がん剤を一度だけ試してみることを勧められる。

12月6日。抗がん剤治療をはじめる。

12月8日。抗がん剤の影響か、猫がぐったりし始める。抱いて、撫でていると少し落ち着く。また副作用のせいかトイレに間に合わなくなることが多くなる。ペット用のトイレシートを購入し、部屋に敷き詰める。

医師によると、抗がん剤が効きはじめることで体力が消耗することもあり、必ずしもぐったりしているのは悪いことだけではないという。

12月12日。体重が夏に比べて半分近くになる。しかし胸水は溜まらなくなり、抗がん剤の効果が見られるようになる。食事は缶詰だけでなく高カロリーのシロップも与えることにする。

12月14日。食欲が戻りはじめる。強制給餌だが、缶詰を1缶食べれるようになる。体重の減少も止まる。

12月15日。体重が増加し始める。胸水は溜まらず。

12月17日。容態が安定し始める。医師からは段階的に自宅で点滴を打つなど、治療を緩和していく方向にすすめていくことも考えられると話す。(それまでは毎日、動物病院に通院していた)

12月18日。半月ぶりに走る姿をみせるようになり、強制給餌の際に嫌がるときも力強く嫌がるようになり、体力が増えてきたことを示す。

12月20日。数日ぶりのエコー検査。胸水が確認され、水を抜くものの、容態はまだこのとき安定しているように見えた。

12月21日。

午前8時30分。

いつものように食事与えると、よだれを垂らしてぐったりし始める。

普段であれば、食事が終われるとよろめきながらも寝床に戻るが、その場から動くことができないままでいて、様子がおかしく急遽動物病院に連絡。すぐに連れてくるように言われる。

午前中の仕事をキャンセルし、動物病院につれていく。

午前9時。

動物病院到着。

着いた瞬間に、待たされること無く奥の診察台に案内され、酸素マスクが付けられる。

エコー検査の結果、量は少ないものの胸水が溜まっていることが分かり、呼吸に異常が見られる。

また血液検査の結果、電解質のバランスが崩れていることが判明し、緊急入院。1日病院で様子を見て、夕方に引き取ることとなり、一時帰宅する。

午前11時。

昼からの授業があるため、出勤の準備をしている最中に病院から容態が急変したと電話がかかってくる。

その日、近くの寺では月の一度の市が開かれており、病院までの道は市に訪れた人でごった返していた。

タクシーを捕まえることもできず、僕はただ走って病院に向かった。

京都のせまい道を、文字通り人を掻き分けて進み、何度か信号無視をして、ただひたすらに走るしかなく、立ち止まってしまうとすべてダメになってしまうように思えてならなかった。

頭の中では、容態が急変したという意味を考えていた。それは先の腫瘍の意味を考えるのと同じように、答えは明らかだったが、それでも容態が急変したという意味を考え続けていた。

午前11時30分。

動物病院に到着。

すぐに奥に案内される。

奥の診察台はカーテンが閉められ、看護師の顔も普段のような笑顔を見せてはいなかった。

カーテンの中に案内されると、猫は、心臓マッサージを受けていた。

その瞬間、間に合わなかったのか、ということだけがぽつりと頭に浮かんだ。

猫の前足にはバイタルを測るためのセンサーが付けられ、喉には人工呼吸器のチューブが挿入されていた。

診察台に横たわった身体はピクリとも動かず、目を開けたまま意識を失い、その瞳孔は開きかけていた。

バイタルのモニターは、医師による心臓マッサージを行っているときだけ反応を示していた。

医師が心確認のために心臓マッサージを一時的に止めると、モニターからは反応を示さないことを表すアラームが鳴り響いた。

センサーが付いていない前足を握っても、まったく反応を示さなかった。

爪を切られるのが嫌で、前足を握ろうとすると、すっと引っ込め、身体の下に隠そうとしていたのに。

心臓マッサージをつづけながら、医師は容態の変化を話してくれた。

僕が動物病院を出て、30分ほど後に呼吸困難に陥り、そのまま意識を失ったこと。

すぐに人工呼吸器をつけたものの、心臓が停止したこと。

これから心臓が動いたとしても、すでに脳などがダメージを受けている可能性が大きく、回復が見込めないこと。

そして心臓マッサージを続けるかどうか。

僕は、やめてもらって結構です、と医師に告げた。

喉がカラカラで、うまく発言することができなかった。

自分の声に驚き、そしていま自分がショックを受けていることにようやく気づいた。

なんとか深呼吸をして、僕は改めて医師にお礼を言った。

医師は心臓マッサージをやめ、モニターのスイッチを切り、時刻を告げた。

12月21日午後0時47分だった。

医師が猫の亡骸を綺麗にしてもらっているあいだ、僕は勤務している大学へ欠勤の連絡を行った。

有り難いことに、事情を理解してくれて、さらには励ましてもらえた。

15分ほどして、再び診察台に案内され、白い布に包まれた猫と対面した。

棺にいれることもできるが、と言われたが、それを断り、いつものキャリーバッグで持ち帰ることにした。

さまざまな葬儀会社のペット葬のパンフレットがはいった封筒を受け取り、医師や看護師に見送られながら、病院を跡にした。

道は、まだ市をおとずれた人が多く、活気に満ち溢れていた。

だれも僕が猫の亡骸を運んでいると気付きはしなかった。

それは当たり前のことだが、とても不思議な感じがした。

これまで落ち込むことはあっても、ここまで周りにいる人たちと落差を感じたことはなかった。

僕がいま背負っているキャリーバッグのなかには、つい1時間前まで生きていた猫の亡骸が横たわっているのだ。

それを考えると哀しいという気持ちよりも、とても不思議で、とても奇妙だった。

自宅に帰り、朝に出かけたままの誰もいない部屋にキャリーバッグを置いた。

その瞬間に涙がでてきた。

これまで、病気を宣告されたときも、看病をしているときも、そして心臓マッサージをされ、死を告知されているときでさえ、涙は出なかった。もちろん、哀しかったし、ショックだったが、涙は出なかったのだ。きっとこのことで泣くことはないのだろう、と思ってさえいた。

だから、拭っても拭っても次から次へと涙が出てきているとき、哀しさや喪失感とはべつのところで、そうか、泣くのか、と思っている自分がいた。

猫の亡骸をキャリーバッグから出し、仕事に撮影台にしている机に毛布を敷いて、その上に置いた。

それはまるで葬儀の祭壇のようだった。

身体にはまだぬくもりが残り、柔らかかった。

毛並みもつややかで、耳の後ろを掻いてあげると、いまにでも身体をよじりそうだった。

だが開き続けている目には生気がなく、確実に死んでいることを如実にあらわしていた。

猫は死んだのだ。

僕はその亡骸を丁寧に、様々な角度から写真に撮影した。

翌日、猫の亡骸はペット葬の業者に引き取られ、供養された。

僕は猫が使っていたペットグッズをほとんど捨てた。いま残っているのは、ご飯を食べるときに使っていた器だけだ。つめきりもおもちゃも捨ててしまった。

あれから2ヶ月が経つ。

亡くなってから、数日経ったときに、部屋で猫のような影を見たことがある。

布団に入り、横になろうとしたとき、目の前を猫のようなシルエットが横切っていったのだ。まるでいつもどおり、寒くなると布団に潜り込んでくるときのように。

後日、母親にその話しをすると、母親も飼い犬が亡くなった時に同じような経験をしたという。亡くなってしばらくは、そこにいることを感じたそうだ。まるで名前を呼びかけたら、反応してくれそうなほどに。

僕にはあのとき見た猫が、幽霊なようなものだったのか、あるいは記憶から作り出した幻覚なのかはわからないし、それは大した問題ではない。

その存在も時間が経つに連れて、徐々に薄まっていった。

しばらくペットを飼うことはないだろう。

だが、新しくペットを飼ったとしても、猫のことを忘れることはないはずだ。

人は死んで、はじめて他人のなかで生きることができるという。

それはペットも同様で、心のなかであのときの姿を保ったまま、生き続けることができるのだ。

2018-02-28 | Posted in danpen

ライター紹介

西出 元

Nomiru ディレクター、撮影、イラスト、会議中に腹が減ったと晩御飯へと促すことを主に担当。企画が進まない原因の一人。
ディズニーランドとUSJに行ったことがなく、それに対する憧れが高まっていき、ハードルが上がりすぎて逆に行けなくなっているが最近の悩み。
好きなお酒は辛口の冷酒。好きな肴は白子ポン酢。


同ブログのおすすめ記事