酒とアート、飲むと観るでノミルです

ストラドレイターの髭剃り

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子供のころ、お風呂に入るのが好きではなかった。
正確には、世の大多数の小学生男子と同様に、である。
もちろん、風呂好きの小学生男子もいるであろうし、21世紀の大多数の風呂好きかもしれないが、それはどうでもいい。当時、1990年代初頭の小学生男子(の大多数)は風呂というものは、ただただ面倒くさいという理由で好きではなかったのだ。そして、その理由は僕にも当てはまる。風呂に入れ、と言われたら、入りたくないと思い、いざ決心して風呂に入るとそれなりに気持ちがいいので、今度は出たくなくなる。なので、親からすれば「いつになったら入るのだ」と「いつまで入っているのだ」とように、2回叱らねばならないことになる。大変面倒くさかったに違いない。

しかし、そんな僕も(当然ながら)大人になり、いちいち風呂に入るのが面倒くさいと言わなくなった。(風呂は相変わらず長い)温泉も好きだし、露天風呂なんて(特に海が見えたら)最高であるし、サウナに入り火照った身体を冷たい水風呂で冷やす、あの苦行のような瞬間の直後に来る「冷たさに慣れてくる時間帯」の気持ちよさったら他では味わえないものがある。そしてその後に待っている的確に冷えたジョッキのビール。それが喉を通るときの快感は、生きてて良かった、などとおおげさに言えるほどのものであることに間違いはない。

ま、もちろん、そんな贅沢な風呂はともかくとして、通常の生活においても風呂には(嫌がらずに)ちゃんと入っている。そして当然、身体や髪を洗い、そして髭を剃る。

大人になって、風呂に入ることが嫌いではなくなったことの要因の一つとして、髭を剃る、という行為が好きということがあるかもしれない。湯船に浸かり、身体を温め、身体を洗い、そして髭を剃る。シェービングクリームを顔に塗り、鏡を見ながら髭剃りを顔に当て、出来る限り丁寧に髭を剃っていく。
まずは、顎の周り、そして顔の横、次に下唇の周り、最後に上唇の髭を剃っていく。これは流儀でもなんでもなく、なんとなく自然とこういう形になっている。だいたい、髭の剃り方なんて誰も教えてくれないものだから、ほとんど人は我流でやっているのだと思う。あるいは僕が読まなかったようなオシャレな雑誌には「髭の剃り方初級編 まずはこう剃ってみよう」みたいなことが書いてあって、僕の剃り方は常識を逸脱しているのかもしれない。だけど、剃れてはいるから、とりあえず良しとしよう。

ところで、この髭を剃るときの、ざらついたアゴ周りをすべすべにしていく感覚は、ちょっとしたパズルゲームのようで楽しい。剃ったあとは、鏡を眺めつつ、手で顔を触りながら剃り残しがないかチェックをする。髭を残す場合は、ハサミか髭用のトリマーで形を整えていく。世の男性が老人になると盆栽が趣味になっていく理由は、このように、もともと髭剃りで剃ったり、整えたりが日常的で、なおかつそこに楽しさを見出しているからではないか、と根拠もなく思ってみたりもしている。

ちなみに電動シェーバーは使ったことがない。それは思想的な理由や、宗教的な理由がある訳ではなく、単純に高くて買えなかったこと。その状況のまま、電動シェーバーを使う必要があるような状況に出くわしてないだけだ。使ってみたら随分と便利なものなのかもしれない。あのジョリジョリと剃っていく感覚は、芝刈り機で芝をかるような楽しさに通ずるものがあるのかもしれないな、仮定していたりもするけれど。(芝を刈ったこともないけれど)

髭を剃る、という行為で思い浮かぶのが『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(ライ麦畑でつかまえて)でのワンシーンだ。
主人公のホールデンがハイスクールの寮の自室で”燻って”いるとき。ルームメイトのストラドレイターがガールフレンドとデートに行くために髭を剃ろうとする。
そのストラドレイターが使う髭剃りが(ホールデン曰く)”むちゃくちゃ”不清潔なのだ。刃がサビつき、石けんのカスが付いているような、そんな髭剃りだ。そんな髭剃りを使うストラドレイターをホールデンは心の中で軽蔑する。さらにストラドレイターがデートする相手は、過去にホールデンとも仲が良かった女の子だから、なおさらストラドレイターへの軽蔑が増していく。そして、読者に向かい、こいつはこんな不清潔な髭剃りで髭を剃って、デートに行くんだぜ。しかも僕と仲が良かった女の子とね。と語りかけるのだ。正確な文章は思い出せないけど、大体こんな感じだったと思う。
物語にとって重要なシーンではない。だけど、男子寮での生活感、そしてストラドレイターの気の利かない人柄、ホールデンの感覚が、その不清潔な髭剃りを中心に見事に表されている。

はじめて『キャッチャー』を読んだのが20歳のときだから、あれから11年も髭を剃るたびに、あのシーンを思い出していることになる。あるいは自分の行為と、物語(フィクション)の状況とを重ねあわせている。いわば、ごっこ遊びみたいなもので、僕はこのごっこ遊びが好きなのかもしれない。
髭剃りが好きだと書いたけど、その理由が思い出せない。もしかしたら、ストラドレイターの髭剃りの描写を読んだ、そのときに発芽し、それを形作るように、髭剃りという行為を好きになっていったのかもしれないけど、結局のところ、どうなのだろう?

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2016-08-12 | Posted in danpen

ライター紹介

西出 元

Nomiru ディレクター、撮影、イラスト、会議中に腹が減ったと晩御飯へと促すことを主に担当。企画が進まない原因の一人。
ディズニーランドとUSJに行ったことがなく、それに対する憧れが高まっていき、ハードルが上がりすぎて逆に行けなくなっているが最近の悩み。
好きなお酒は辛口の冷酒。好きな肴は白子ポン酢。


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