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ノミル編集長、ひとたんの日記です。

20170914人狼のこと

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人狼のことばっか書いてるけど、まあ、仕方ないです。
最近、人狼以外のボードゲームをやる機会がありました。
まあ、それほどボードゲームの種類を知ってるわけでは無いので、総論みたいなものはまだ書けないけれど。

他のボードゲームをやるにつれて、人狼ゲームの優れた点をしみじみと感じる。
一番優れていると思う点は、「勝ち方」にパターンがないという点。
他のボードゲームは、ある程度賢い人が賢いやり方をすれば、勝ち方は決まってきて、そこ勝ち方に向かって「競争」になりやすい。競争の差がつくところにダイスの目とか「運」が入るのもよくあるけれど、運は統計と確率に回収されていくので僕が感じる面白さの要素において、そこまで重要ではない。
いや、ギャンブルは好きなので、それはそれで違う種目としての楽しさは他の人よりも理解しているつもりですが、これは人狼とボードゲームの話。

人狼は、多分に人に依存するゲームなので、人が変われば全く違うパターンになる。またその人の気分や考えで勝敗は常にたゆたっていて、いつでも逆転しうるし、逆にスパッと勝敗が決まることもある。一瞬で台無しになってしまう、緊張感がある。勝つにしても負けるにしても。

もちろん、人狼にも定石はある。定石はやはり定石。定石通りことを運ぶのがもっとも強い。だけど、人狼側と市民側に分かれるゲームの特質上、定石を崩そうとする人が必ずいる。また人狼側だけがそうではなくて、市民側にも愉快犯やお間抜けな人が混ざるので、定石を崩した人が人狼側!という決めつけも、あくまで可能性の一つとしてとらえることしかできない。

もう一年間人狼会をやっていて、100回以上人狼をやっているけど、これ!という決まったパターンがない。というか、全く同じ展開になった記憶がない。これはほんとすごいことだと思う。人狼ゲームって、すごい。

だけど、人狼のよくないところも知ってしまった。
先ほどは同じことを利点として書いたけれど、人狼は、多分に人に依存するゲームなので、プレイヤーに「悪意」が混ざった瞬間に、止める手段がない点。

例えば、プレイヤーの一人が、「意図的に挑発して、相手を怒らせて、そうすることで嘘を見抜く」という喧嘩腰のプレーが「正しい」と思っているとしたら。たしなめたり、論理的に正論を言って対抗したりすることはできるけど、そのプレイヤーは、相手に対して「あ、怒らないってことは味方か」と思うだけで、自分のプレーが間違ってるとまでは思わない。雰囲気はめっちゃ悪くなるけれど、別に勝てばいいと思っていれば、気にもならない。

例えば、プレイヤーが大多数の割合で「定石」に詳しくてしかも正しいと信じていて、その中に少数の定石を知らないプレイヤーが混ざった場合。
定石を知らないから、という理由で人狼かどうかに関係なく、ゲームから排除される。人狼ハウスや人狼スタジオにいる「人狼強いよ」陣営に多いケース。

結論としては、人狼は人に依存するゲームなので人が面白ければゲームが面白くなる、ということに尽きてくる。だから、人狼を嫌いっていう人が多いのはよくわかる。だから、ノミルでは極力面白い人の参加を増やしたいと思っているけれど、それだってエゴというか、気持ち悪い感じがする。

人狼、面白いと思うんやけどなあ!

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2017-09-14 | Posted in hitogoto

ライター紹介

伊藤 仁

料理研究家。料理好きのふとっちょ。よくしゃべる。声がでかい。
好きなお酒は不老泉(赤ラベル)。好きな食べ物は豚の角煮。


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